2014年6月10日火曜日

恩師を、感謝・祈願のもとおくってきました。

先日、私の大事な師である難波忠元先生が、ご昇天されました。

御年100歳にて、終生をかけて出口王仁三郎聖師の教えを伝えることに全てをかけられ、その核である「ようわん展」の開催・伝導、また自身は聖師の右腕であった樂焼家佐々木松楽師の弟子として作陶活動や書の作成に命を懸けてこられ、最後は笑顔にて天国に昇っていかれました。
自身に厳しくも、本当に優しく、時に厳しく、私達に弟子に本当の皇道である伝統を伝えて下さいました。あらためまして、私のような不出来な者に、辛抱強く指導していただき、厚く感謝申し上げます。先生から継いだご意志は、兄弟子である森氏をはじめ我々がしっかりと伝えて参ります。どうぞ、天国から厳しくも、お手柔らかに見守っていて下さい。

私が難波先生に初めてお会いしたのは、確か私が20代の頃だったと思います。
将来、武道の道に進むか、医学(東洋医学)の道に進むか迷っていた時分だったと思います。
難波先生の初めて拝見した印象は、なんとも涼やかで知的、そして武士の風格も漂う、若い私が見ても、「本物の武士」と感じる瞬間でしたし、一瞬にして惚れてしまったのを覚えていますw。こういう後ろ姿になりたいと、一生懸命に追って参りました。

また、私の母が難波先生の初期のようわん展にお手伝いしていたのを機に、私も最初はなんとなく会場に足を運ぶようになったのですが、その初めて拝見した聖師の「ようわん」の理屈を超えたすばらしさに感動して動けなかったのを今でも鮮明に覚えています。

難波先生は、若造の私に、丁寧にそして辛抱強くその意義についてお話して下さいました。今では、及ばずながらもお手伝いの少しはできるようになったとは思いますが、難波先生には、本当によく怒られたな〜w 今では血の涙も、私の糧となっております。
今では、頭が固い私への愛の鞭だったと、強く感じます。
時に、私と2人だけのときに話して下さる話が、本当に優しく、ずばり的を得てて、心がすっきりと、そして熱くなる言葉を何度もいただきました。
それは、私の心の宝であり、核です。

難波先生。本当に今まで、お疲れ様でございました。
しっかりとがんばって参りますので、今後とも天国から見守っていて下さい。

すこし、興奮しているので、何を書きたいのか、何を書いているのか少しとりとめもない
文章になってしまいましたが、今回は書き直しません。



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