2012年7月23日月曜日

ロッキーと私 vol.2

今日はロッキーのお話の後編!

その後も、私はや野球、書道、公文式、そろばんetcといろんな習い事をしましたが
最終的に続いたのは、武道・格闘技でした。まさか、今はそれがプロとして職業になるとは笑。
確かに、将来は武道家かプロ野球選手か医者かになりたかったので、夢が叶ったと言えるかもしれないので、全てのことに感謝です笑

そんな私にも、ミーハーな時期はありまして、ちょうど中学から高校へ進学した新入生の時。やっと、憧れの北野高校へ入学できた私は、少々浮かれ気味で、入学式だったか、始業式だったかのクラブ勧誘の時に、あらゆるクラブから勧誘を受けました。当時15才で180cmを超えていた私は、細かったですが骨格がガッシリしていたので、運動部からの誘いは多かったです。(なぜか、文化部からは一回も勧誘されなかったのは、馬鹿顔やから?笑)
そんな中、私は当時人氣のなかった武道・格闘技出身で、さらに少年の部がやっとできた当時では、まだまだ注目度も低く、さすがのストイックな私でも、そこはやはり青春時代まっただ中!少し黄色い声が恋しかったと思う。
ついつい、道場に通うことを続けることを心に決めていた私だったが、美人な先輩の勧誘と、校内体育祭の時のヒーローになって、あくる日からロッカーにはラブレターの山だぜ〜い(杉ちゃん風。笑)という妄想が一瞬にして頭を支配し、氣がつけば入部手続きをしていた。笑 入部したのは「陸上部」である。

陸上部に入部した私は、もちろん初心者だが、「ただ走るだけだろう?」と簡単に考えていた考えに活をいれてくれる程、厳しいものでした。ただただ、0.1秒でも早く走るために、それに必要なトレーニングをしていくというのは、ストイックな私には向いていたのかもしれませんが。そんな陸上競技の中で、私が選んだのはハイジャンプ(高飛び)と短距離(マイルレース:400×4リレー)。せっかく苦労して入った超進学校の北野の授業もそっちのけで、陸上競技にのめり込みました。同じクラスに、新里、中道という「THEマジメ」のような同級生たちがいたのですが、彼と妙に氣があって練習後も一緒に帰りながら走るフォームや先輩の軽話をしたのは、今でもいい思い出です。

そうやってるうちに1学期が終わり、長い夏休みに入ります。青春まっただ中、初めての合宿や試合、マネージャーと恋に落ちたら・・・などを考えていた私。(いや、俺も普通の人間やから)
そんな夏に、映画が公開されます。
そう、小学校2年生のときに見てからずっと見続けている「ロッキー」シリーズの「ロッキー4」が!

その映画を、高校の同級生と見に行った私は衝撃を受けます。
眠っていた、武道・格闘技へのストイックな感情です。
「俺は、何ために今までやってきたのか。」「俺の夢はなんや?」「本当にしたいのは何なんだ?!」心の中から沸き上がってくるもう一人の私の声。
もう、その後は止められませんでした。頭の中は、「ロッキー」のテーマから「ロッキー2・3・4」のテーマが順々に鳴り響いています。
帰って、自分を見つめ直し、自分の進路を決めるのにそんなに時間はかかりませんでした。(この時に、もう黙想的な瞑想をしていたので)
「俺は、武道(格闘技)がしたい!」
書けば長くなりますが、悩んだ末に出た答えです。

今思うと、”早く走るために、走る練習をする”という練習が私には合ってなかったのかも。
やはり、”強くなるための一つの基礎練として走る”という方がしっくりきたのも事実です。
(これは、人の考え方の違いで、陸上選手には今でもリスペクトしてます。全てのスポーツの核は同じと思います。)

その後、陸上部を退部した私は、武道・格闘技にカムバックします。わずかブランク半年。ただ、その間もきつい陸上の練習をしていたので、力は落ちてませんでした。
復帰するのを機会として、今まで通っていた日本拳法の総本山:洪游会本部から新しく家の近くにできた仏光振武会にお世話になることに。

そこは、新しい道場ですが、名師範の近藤師範や本当に面倒見のいいちょっとHな平道場長をはじめ、学生チャンピオンの笹部指導員や、伝説のチャンピオン:竹内耕一氏も。もちろん、私の最初の拳法の師である岡田賢三師も指導にこられてました。そういえば、Sanda Club Mzで指導員として手伝ってくれている高校時のライバル:在里もそこで出会ったな〜。類は友を呼ぶのか本当に良い人達が集まって、いい雰囲気の道場でした。
そこで出会うのが、私の生涯の武道の友であり、同志であり、そして一番弟子である香積学氏です。

長くなったので、またこの続きは続編で!

ただ、そんな背景で私はその当時。「ロッキー4」の映画を13回映画館に見に行って
感動と、そして練習法を参考にしては、試すの毎日を行なってました。だから、進学校の厳しい授業についていくのが必死のパッチで、その学期末の成績はさんざんでしたね。
担任に、「何しにここに来た?」と説教頂いたのを覚えています。
でも、超進学校で格闘技のチャンピオンになるくらい有名になるのって痛快でしょ?笑
今では良き思い出です。

この筋肉には当時、あこがれたな〜。特にドラゴ(ドルフ・ラングレンは極真出身)に。






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