2012年7月18日水曜日

ブルース・リー師とのご縁 vol.3

やっと書くことになりました笑

ブルース・リー師とのご縁話。

まずは、ブルース・リー師の簡単な半生とざっと書きますと、

ブルース・リーはアメリカ・サンフランシスコのチャイナタウンで誕生。香港に帰国後、非常にヤンチャな子として育ったうようです。いわゆる喧嘩三昧の毎日だったと。

俳優の父から、太極拳を学ぶもすぐに辞めてしまう。
そんな彼の興味を引いたのは、詠春拳のイップ・マン師父。
喧嘩にかつためにという動機で、道場の門を叩くこととなるが、この詠春拳こそブルース・リー師のベースとなる中国武術となったと言われている。

また、ブルース・リーは、ダンスが好きで学生の時代にはディスコ大会で優勝している。
彼のフットワークは、このダンスのリズムが役だったとも言われている。

そんな香港時代には、喧嘩により相手を病院送りにしてしまい、ヤクザがらみの件も
あって、父が国外に逃がせるように生まれ故郷のアメリカへ行かせる。

その後、アメリカで厳しい生活を過ごすこととなったブルース・リーは、その当時のアジア人への差別などに怒りをもち、やはり喧嘩に明け暮れたという。
だが、そう続けているうちに一念発起、大学で哲学を学ぶこととなる。

そこで、自身が学んだ詠春拳をもとに、学んだ哲学を融合させ新武術を完成させる。
それが「ジークンドー」である。
ブルース・リーは、この武術を当初は、「ジュン・ファン・グンフー(ブルース・リー流中国武術)と名付けて、サークル道場を立ち上げたのが始まりです。

そうして、アメリカで開催されている空手大会で、模範演武で名声を上げる。
そこまでに、いろいろな挑戦者や困難があったが、その度にブルース・リーはジークンドーをさらなる高みへと完成させていったという。

その後に、映画俳優となってアジアの東洋の叡智を広めていく一代センセーションを世界に発信していくのだが、そういった背景の中、ブルース・リーは単なる強さ、武術ではなく、その武の極を求めて努力を惜しまなかったという。
そういった中に、この中国武術で大成した拳法と謳われた「意拳(大成拳)」を
香港の喧嘩時代に知っていたブルース・リーは、若さゆえもあって、その意拳伝承者の一人に挑戦します。結果は見事に勁によって吹っ飛ばされて破れてしまいます。
その後、ブルース・リーはこの意拳への入門を嘆願しますが、それは許されませんでした。その理由が、ブルース・リーが粗暴だったからとも言われていますが、真意は、今身に着けている武術を捨てることができないだろうから、強さを間違った考え方で捉えているからです。

その過去を持つブルース・リーは、哲学を学ぶ中で、意拳の「氣」「勁」の概念に非常に興味を持っていったと言われています。そのひとつが彼がよく披露した「ワン・インチ・パンチ」です。1インチ(2.5センチ)の距離でパンチを打つことで相手が吹っ飛ばされてしまうという模範演武ですね。まさしく「勁」、中国武術の極の一面です。

そういう背景で、ブルース・リー師は「あの武術(意拳)はどうしてでも学んでおくべきだった」と心許せる仲間に話していたと記録されています。


・・・その意拳を、その中でも創始者:王老師の高弟で一番真理を体系させた「尤氏意拳」を学び、伝えていけることに、私は感謝と武者震いを感じるわけです。
直接話したわけではないブルース・リー師とこういう関係でご縁を持てたのは、心の上で
本当に嬉しいやら、びっくりやら、がんばらなくてはと思うわけなんです。

*詳細等は、簡略・割愛していますのでご了承くださいね!


私が武道・格闘技を始めたキッカケの、ブルース・リー師の「ドラゴンへの道」。
師に敬意を込めて、私はこの意拳「尤氏意拳」を伝えていきます。そして、この日本で
最終的に新武道として「明光道」(明光武道)を完成、創始しこの混沌とした世に広めていくことが私の使命だと信じています。

0 件のコメント:

コメントを投稿